2006年 05月 24日
俺たちに時間はない |
雷があばれまくっておりますが、皆さん無事に帰宅できたでしょうか。
さて、時間が無いということについて。
たとえば、「今日は酒を飲むぞ」と飲み屋に行って、すぐに酒だけは注文し、それが出てくるのを今や遅しと待ちかまえ、一口、一杯と飲み干してから、「これで今日も飲むことができた」と安心する。
二十代、三十代の方に比べれば、理屈抜きにあきらかに私には残された時間は少なく、残された貴重な時間の中では、もうこれは飲み急ぐしかない。これを「俺たちに時間はない」理論という。
さて、もう少し真面目に「俺に時間はない」ということについて
私の両親、父も母も偶然か必然か二人とも平均寿命には届かない72才で逝って、たぶん、もっともこの形質の受け継いでいるだろうから、こんなところで考えている。そして、これに従うなら私に残された時間はもう一万日はとっくに切っている。
さあ、考える。
あと数千日の日々、何回の団欒か、晩飯か、そして何回飲めるか…
さらに浦和レッズがリーグ優勝に挑戦する姿を何回見ることができるのか。アジアに挑戦する機会に何回参加できるのか。
こんなふうに考えいくと、たとえばカシマのバスツアーはまだ90日先だとか、初めてのACLは300日先だとかはずいぶん先の話しではなく、ちょっと先の話に思えてくる。
こんな感覚を持つようになったのは、それなりに齢を重ねたおかげだが、まあ、それなりに経験もあるし、いいこともあるわけで、とにかく今年は優勝しろよと願う。(なんかまとまらず。)
さて、時間が無いということについて。
たとえば、「今日は酒を飲むぞ」と飲み屋に行って、すぐに酒だけは注文し、それが出てくるのを今や遅しと待ちかまえ、一口、一杯と飲み干してから、「これで今日も飲むことができた」と安心する。
二十代、三十代の方に比べれば、理屈抜きにあきらかに私には残された時間は少なく、残された貴重な時間の中では、もうこれは飲み急ぐしかない。これを「俺たちに時間はない」理論という。
さて、もう少し真面目に「俺に時間はない」ということについて
私の両親、父も母も偶然か必然か二人とも平均寿命には届かない72才で逝って、たぶん、もっともこの形質の受け継いでいるだろうから、こんなところで考えている。そして、これに従うなら私に残された時間はもう一万日はとっくに切っている。
さあ、考える。
あと数千日の日々、何回の団欒か、晩飯か、そして何回飲めるか…
さらに浦和レッズがリーグ優勝に挑戦する姿を何回見ることができるのか。アジアに挑戦する機会に何回参加できるのか。
こんなふうに考えいくと、たとえばカシマのバスツアーはまだ90日先だとか、初めてのACLは300日先だとかはずいぶん先の話しではなく、ちょっと先の話に思えてくる。
こんな感覚を持つようになったのは、それなりに齢を重ねたおかげだが、まあ、それなりに経験もあるし、いいこともあるわけで、とにかく今年は優勝しろよと願う。(なんかまとまらず。)
by odakyureds
| 2006-05-24 21:16